5月12日のハッピー。
こんばんは、よしおです。
ゴールデンウィークが明けて数日が経ち、世の中には陰鬱な空気が蔓延していることと思います。
皆さんいかがお過ごしですか。
僕は普通です。
なぜならゴールデンウィーク前も只中も僕は陰鬱だったので、明けたからといってことさら陰鬱になるということがないからです。
いま陰鬱な皆さんは、ゴールデンウィークを有意義に楽しく過ごしていたということだと思います。
どうせプラスマイナス0ならば、ふり幅を大きくしていくほうが人生楽しいんじゃないかなと僕は思います。
さて。
長期のお休みを終えてむかえる久しぶりの出勤。
憂鬱ですよね。
職場が燃えればいいとか思いますよね。
でも燃えたら燃えたで無職になるのは困りますよね。
だから職場の無事を祈りつつ出勤しなければいけないわけです。
出勤するうえで特にその憂鬱さを増大させるものが今回のアンハッピーです。
「通勤電車」
アンハッピー度:87(Max100)
これです。
だれもが「みんな普通乗るし、乗らなきゃいけないものだからしょうがない。常識だ。」と考えがちなためにあまり意識されませんが、普通にエース級のアンハッピーです。
アンハッピー度87は、「鼻をかみたいと思ったが手の届く範囲内にティッシュがなく一度立ち上がらなければならなかったとき」と同程度のアンハッピーです。
こんなアンハッピーに身をさらせば最後、職場に行きたくなくなるどころか、明日の分まですでに帰りたくなってしまうことは必至。
長期にわたって体を蝕む「毛虫の毒」のようなアンハッピーだと言えます。
さらにこのアンハッピー、他の多くのアンハッピーが付随するということで有名です。
夏場の空調の寒さ、汗臭さ・・・
冬場の窮屈さ、汗臭さ・・・
雨の日の傘の水滴、汗臭さ・・・
見知らぬ他人と体が密着する恐怖、汗臭さ・・・
etc・・・
それらすべてのアンハッピー度を合計すると、なんと100000にも達します。(つまりは前回の「ストレス」です。)
大災害にも匹敵するアンハッピーへと変貌する危険性を秘めた、恐ろしいアンハッピーであると言えます。
そんな行為を毎日繰り返しているなど、正気の沙汰ではありません。
ぜひ早急に「どこでもドア」を開発してください。
この「どこでもドア」、J〇やボー〇ングなんかの工作によって開発が妨害されているというのはまた別のお話です。(フィクションです。)
ここで。
上記の数々のアンハッピー群を各個撃破できるハッピーの紹介です。
「座れた」
これです。
通勤電車の中で何が最も煩わしいか。
それは「ずっと立っていなければならないこと」でしょう。
最寄り駅が始発駅でない限り、乗った瞬間に座れる可能性は限りなく0に近い。
通勤時間帯の多くの場合、自分の目指している場所は皆の目指している場所です。
そんな中、目の前に座っている人が立つ。自分が座れる。
自分の目の前に座っていて途中で立つ人というのは人ではありません。
「現人神(あらひとがみ)」です。
神が人の姿をとって現れ、あなたを座らせるために席をとっていてくれたのです。
多くの日本人が忘れている感覚でしょうが、神に祈るタイミングというのは本来ここです。
べつに何かを布教したいわけではありません悪しからず。
「座る」という行為自体には、当然ですがハッピー性はありません。
「座る」という行為にハッピー性が付与される条件・・・
それは「それまでずっと立っててつらかった」且つ「自分以外の多くが立っている(自分だけが座れた)」という状況であることです。
通勤電車の中においては、その条件を満たす可能性が大いに高い。
つまり通勤電車の中で「座れた」という事象は、多大なハッピー性を纏うことになるのです。
ではここで、今回のハッピーのハッピー度を発表します。
「座れた」
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ハッピー度:87(Max100)
内訳は、
「重力と横揺れという二重苦からの解放」ハッピー度:10000(Max100)
「足腰の鍛錬の機会損失」アンハッピー度:9913(Max100)
です。
電車の中における「重力」と「横揺れ」は、体に大きな負担をかけます。
ただじっと立っているだけでも辛いのに、時折前後左右に大きく揺れるため、通勤を乗り切るためには強靭な足腰が必要となります。
加えて、吊革に掴まるための腕力も重要でしょう。
それらに自信のない方は床に寝るようにしましょう。
しかし逆に言えば、通勤電車に乗れば乗るほど足腰や腕が鍛えられます。
通勤すればするほど、自分の肉体が自慢できるものへと変貌していくのです。
これはまごうことなきハッピーでしょう。
「座れた」という事象は、このハッピーを享受する機会を受動的に損失してしまいます。
それはアンハッピーだと言えるでしょう。
上記をどう受け取るかは千差万別、十人十色、「みんなちがってみんないい」です。
僕はこれを、「強靭な肉体を手に入れられるのは魅力的だけど、披露する場がないからあまり意味がない。それより目の前の楽を取りたい。」という理由から、僅差でハッピーだと受け取りました。
それゆえの結果がハッピー度87というわけです。
さて。
今回は前回までとは違い、スケールの比較的小さなハッピーでした。
しかし、そのような些細なハッピーを享受するだけでも、過程に多くの葛藤や懊悩が存在するということがわかっていただけたかと思います。
ハッピーに限らず、何かを得るのには必ず代償が伴うもの。
ハッピーを手にするにはそれなりの覚悟が必要不可欠なのです。
だから僕は求めすぎない。
まだ覚悟のない僕には、大金も正規雇用もその他諸々も必要ないのです。(強がり)
それではまたお会いしましょう。
よしおでした。